晴れの日
不老の身体を得て、長いような短いような月日が流れた、ある日の事。
金や銀、色とりどりの玉。美しく染め抜かれた絹の着物。千鶴子の前には様々な宝物が広げられていた。
もうすぐ即位を記念した式典が執り行われる。そのための装いを、女官達が選んでいる最中だった。
「よくもまあ、これだけ用意したものねえ」
「どれも主上にふさわしい、国の宝とされる逸品ですよ。お気に召したものはございますか?」
主上には赤い着物が似合うだの、瞳の色に合わせて碧いのがいいだの、さっきからいっこうに決まりそうもないので、一番年嵩の者が千鶴子に意見を求めた。
「そうねえ……」
好きな物をと言われても、宮中には宮中の作法がある。特にこういう儀式や式典ではしきたりが非常に重視された。
高貴な身分に相応しい色、素材。季節に合った色柄、花鳥風月を模した装飾品。華美なだけでは駄目で、品のある装いを。女王として侮られぬよう、誰より価値のある物を。隣に並ぶ神獣との兼ね合いも忘れてはいけない。……
こう雁字搦めでは、選ぶ楽しみが半減してしまうというものだ。もっとも女官達に言わせれば、そこが腕の見せ所らしいけれど。千鶴子はまだその境地に達してはいなかった。
「あら、主上なら身につける宝より、不思議な力を持った宝重の方がお好きに決まっているわ」
そんな千鶴子のつまらなそうな様子を見て、別の女官が茶々を入れる。それにつられて明るい笑い声が部屋中に響き渡った。
千鶴子が堅苦しいのは好かないというので、今では女官達もこのように気安く接してくれている。もちろん初めからこうはいかなかったが、長い時間をかけてより良い関係を築いてきたのだ。
その事に満足して、千鶴子も笑みをこぼした。
またああでもないこうでもないと言い始めた女官達から目を外し、窓の外を見ると、よく知った姿が屋根の上にあるのを見つける。
ふといたずら心が湧いて、こう言った。
「あたしの一番の宝は、水鏡ね」
それを聞いた女官達がこの国にそんな宝重があっただろうか、と首をひねっているので、すっと外を指してみせる。
「あれよ」
えっ、と一斉に視線を集めたその先には、何の事はない、いつも通りにこの国の神獣が屋根の上で桃をかじっているのだった。
「水鏡などございませんわ」
ますますわからない、という顔をしている女官の中で、あっ!と気付いた者がある。
「違うわよ。主上がおっしゃっているのは、台補の事なのだわ!」
きゃあ、と高い声が上がる。何やら少女めいた想像をした者もいたようだが、別の誰かが「素晴らしいわ」と声を上げたので皆の注目を集めた。先ほど千鶴子に意見を求めた年嵩の女官だった。
「神獣は民意の象徴と申します。つまり主上は、台補を民の心を映す鏡だとおっしゃっているのですわ。それが何よりの宝だとは、なんとありがたいお言葉でしょう」
そう言って感じ入った様子の女官につられて、誰もが口々に千鶴子を褒め讃える。
それも間違いではないので、千鶴子はその賞賛をありがたく受け取っておいた。
だけど、もうひとつ。
はじめて水鏡を覗き込んだあの日、そこに何が映っていたかを知るのは千鶴子だけだ。
その思い出を今も大切に抱き続けている。
まだ王に相応しい己にはほど遠いかもしれないが、それでも、彼がひとつ微笑みをくれる度に近付いているという自信があった。
ふと視線を感じたのか、その瞳がこちらを向く。
日の下で輝く瞳はいつにも増して美しい。
「今日は晴天ね」
彼と視線を合わせた千鶴子はそう言って笑った。
それを聞いた女官が空を見上げて、本当に、と返すので、千鶴子の笑みはますます深くなった。
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式典当日。空はあいにくの曇天で、今にも雨が降り出しそうだった。
あらかじめ選んでおいたとっておきの衣装も、湿気を含んでじっとりと重みを増している。それを纏う千鶴子の機嫌も悪くなろうというものだ。
重い!だの、蒸し暑い!だのと、ぶつくさ文句を言いながら、式典に向かう自分と合流した主を見て、ハルは呆れた顔をしていた。
「さっさと済ませて脱いでしまいたいわ!」
「言うだけムダだよ。わかってるでしょ」
どうせこの後宴が控えているのだ。盛大に開かれる宴には各地の州侯なども招かれており、彼らと直接言葉を交わせる貴重な機会だという事は千鶴子も重々承知しているはずだった。
もちろん本人も参加する心づもりではあるが、とりあえず文句だけは言えるうちに言っておく、というので今も唇をとがらせている。
ハルももう慣れたもので、はいはいと適当に聞き流しながら降り出しそうな空を見上げた。宴の支度は屋内に整えてあるので問題ないが、式典の最中に降られては困る。こんなのでも自分の主だ。濡れ鼠になってしまうのは忍びない。
そう考えていると、じとっと自分を見つめる視線に気付く。
「今、なにか失礼な事を考えなかった?」
「さあね。嫌な天気だと思っていただけだけど?」
妙なカンを働かせる主をかわすのも手慣れたものだ。それでもじいっと、ハルの心を透かそうとでもするかのように見つめてくるので、同じように視線を返してやる。
するとぱちりと瞬いて、なぜか満足したように笑うのだ。
「そうね。でも、晴れているわ」
「はあ?」
どう見ても曇りだろう。今にも降り出しそうなのに!
さすがにわけがわからないと困惑するハルを放って、千鶴子は上機嫌に歩みを進める。
さっきまでの不機嫌が嘘のように、着物の裾がひるがえるほどの軽い足取りだった。
「雲ひとつない青空が映っているから、今日は晴れの日よ!」
そう言って千鶴子は笑い声をあげた。
まったく意味がわからない。がしかし、晴れの日というのは間違いでもない。
今日は彼女の即位を祝う特別な日で、ハレというならまさしくそうだ。
政の方はまだ課題も多いが、王が立った事で国が定まり、全ては良い方向に向かっていた。それを喜んで民もこの日は祭りを催し、国中が喜びに湧き上がっている。
そのおめでたい日の中心にいる千鶴子が、晴れだと言ったなら本当に晴れるのかもしれない。
獣の性で、千鶴子よりよほど鼻の利くハルにはありえない事だとわかっていたが、それでも彼女の笑い声を聞いているうちに、なんとなくそう思えてきた。
「晴れるといいな」
天気だけではなく。
王の見た青空が、やがて民の元まで広がって、皆の心まで晴れ渡ればいい。
そう願いながらぽつりと呟いたハルの瞳を見て、千鶴子はまたにっこりと笑った。
「直にそうなるわ」
そう答えた千鶴子の瞳は、晴天の海のように碧かった。